第866話 アヴァロンの支配者(1)
「ば、馬鹿な……そんな馬鹿なっ!?」
野営の天幕の中で、アークライト公爵の叫びが響く。
公爵という上位貴族として、何よりも十字教への信仰を秘して来た隠れ信者として、人前で感情を表に出すことなどしないが、それでも耳を疑うような凶報を前に、叫びの一つも上がるというものだろう。
「首都が陥落した、だとぉ……ええい、使徒はっ! 第十二使徒マリアベル卿は何をしておったのだ!?」
「第十二使徒マリアベル卿は、押し寄せる反乱軍から王城を守るため奮戦しましたが……魔王クロノの前に、敗れ去りました」
「使徒が、負けた……? し、死んだのか」
「その首は氷漬けの上、王城正門前に晒されております」
すでにして、第十二使徒の死が大々的に広められている。
これでは、首都にいる数多の十字教徒も反抗する気力は失われてしまう。高名な敵将を討ち取り晒し物にすることで、敵の士気を挫くのは古来よりある定番の手法であるが、十字教における使徒がそれをされたならば、事は士気だけに関わらず信仰にも影響する。
最悪だ。考え得る限り、最悪の事態が起こってしまった。
「わ、私は……魔王の力を、読み違えたと言うのか……」
自身の優位を確信した上で、反乱軍討伐に出張って来たのだ。
レジスタンスなどという抵抗勢力が首都に蔓延っているのは分かっていたが、それでも首都の守りは盤石だと思っていた。十分な兵数が駐留し、使徒の守りまであるのだ。これ以上を求めていれば、王城から一歩も動くことなどできはしない。
「ヴィッセンドルフめの主力部隊も、セレーネに現れたルーン艦隊も、全ては陽動……魔王の狙いは、首都にいる使徒の首のみであったということか」
圧倒的な優位にでも経たない限り、使徒の首など狙いはしない。
確かに、クロノはすでに第七使徒サリエルを討っている。だがそれはガラハド戦争という両軍がぶつかり合い、十字軍が今まさに敗走を始めた段階で挑まれた戦いであったと聞いている。
当時の第七使徒は、敗走する大軍の殿という、形勢不利のお手本のような戦況に立たされていた。
しかし、今回はそうではない。いくらレジスタンスが活動していようが、首都アヴァロンの防衛戦力を上回ることはないのだが————それが覆されたということは、単純な兵力数ではなく、魔王クロノを筆頭とした特化戦力が数の不利を埋めるほどの強さを誇っていたということになる。
「何ということだ……すでに奴は、魔王を名乗るに相応しい力まで手にしていたと……」
「公爵閣下、如何なさいますか」
もっと早い内に、魔王の危険性を予見できなかったのか、と後悔が渦巻いて来るが、配下の問いかけに思考を切り替える。
「急ぎ、首都へ戻る。今ならまだ、奪還も間に合うであろう」
「ははっ!」
それ以外に、動きようはない。
一時的にでも首都を奪われただけでも大失態だと言うのに、このまま本当にアヴァロン全土を魔王の手に落とすのは、それだけは絶対に防がなければならない。
「落ち着け……そうだ、まだ間に合う……」
幸いにも、ヴィッセンドルフ辺境伯の率いる、最大規模の兵数を擁する反乱軍主力とは、いまだ一戦も交えていない。
こちらは小さな平野部での会戦を想定し陣を張ったが、肝心の反乱軍が手前の町に籠ったきりまるで動く様子がない。こちらの方が戦力に勝るとはいえ、石壁に囲われた町に立て籠もった相手を攻めるとなれば、相応の損害は避けられない。
だが反乱軍もその目的からして、いつまでも町に籠ってはいられないと踏み、平野に出てくるのを待ちながら、数日に渡って両軍が睨み合いをしている中で、今回の報告が届いたのだった。
今となっては、ヴィッセンドルフ辺境伯の反乱軍主力も陽動であったために、こちらとの決戦を避けたという意図が明らかとなったが、だからこそアークライト公爵率いる討伐軍も無傷のまま。
こちらは早々に反乱軍を討ち滅ぼすために、首都防衛に残してきた部隊よりも、遥かに精鋭を揃えている。アヴァロンに残っている軍としては、主力部隊と呼んでも過言ではない。
自分達が残っている限り、ネオ・アヴァロン軍はまだ負けてはいない。
「よいか、幾ら使徒を倒したとはいえ、奴らの損害も相当なものに違いない。万全の状態の我々が首都へと戻れば、そのまま一気呵成に王城を奪還するのだ!」
敵は首都防衛隊と使徒を打ち破り、満身創痍。何とか首都の占領を宣言しているに過ぎず、これを守り切る体勢が整っているはずがない。
だが時間をかけるほど、相手も防備を固めてゆく。よって、一刻も早く首都へと戻ることが重要だ、とアークライト公爵は兵を鼓舞しながら、帰還の途についた。
撤退中の背後を反乱軍主力に襲われないよう、最低限の殿部隊だけ残し、糧食などの物資も置き去りに、とにかくまとまった戦力だけを連れて、街道を突き進む。
やはり、戻って来る討伐軍にちょっかいをかけるほどの余裕も、反乱軍には……いいや、今や魔王軍と呼ぶべきか。
魔王率いる恐るべき軍勢も、首都に籠り切りのようで、街道を進む討伐軍には罠や奇襲は一切なく、撤退は順調に進んで行った。
そうして、初火の月7日。朝方。
夜を徹して突き進み、ついにアークライト公爵率いる討伐軍は、首都アヴァロンへと辿り着いた。
頭上には不吉な暗雲が重く立ち込めており、今にも豪雨が降り注ぎ、落雷が轟きそうな空模様である。
もっとも、どれほど雨が降ろうと、雷に打たれようと、敵に占領された首都を前に止まることは決してないだろう。
行軍の疲労を吹き飛ばすほどの怒りと戦意をたぎらせて、アークライト公爵は自ら全軍の前へと進み出た。
「これより、我らが首都を奪還する!」
オオオッ! と帰る場所を取り戻すために、討伐軍兵士が意気軒昂に応える。
首都に続く街道の向こう側には、アヴァロンを象徴する巨大な正門がある。討伐軍が出陣する時には、華々しい見送りと共に潜り抜けてきた門は、今や自分達を拒むように固く閉ざされている。
こんなことは、あってはならない。許してはならない。首都アヴァロンはこれより、パンドラ大陸に白き神の教えを広めるための中心地、聖なる都となるのだから。
邪悪なる魔王の手から、今すぐに取り戻して見せる————そう誰もが士気高らかに、攻撃を始めようとしたその時であった。
「————余は、アヴァロン国王、ミリアルド・ユリウス・エルロードである」
厳かな声音が響くと共に、空に大きな人影が映し出される。
これより首都に攻め入ろうと陣取っている討伐軍からも良く見える。ちょうど正門の真上辺りに、四角く輝く窓のように照らされていた。
そこに映るのは、冴えない中年の男。しかし王冠と王錫を手に、煌びやかな真紅のローブと黒い正装に身を包んだ、アヴァロンの国王に相応しい出で立ち。
「み、ミリアルドぉ……貴様、戻っていたのかぁ!」
幼い頃は友として。長じてからは臣として。だがしかし、心の底では決して一度も、友であるとも主であるとも認めることはなかった。玉座を追われることが定められていた哀れな裸の王が、本物の王として返り咲く姿に、アークライト公爵は目の前が真っ赤になるような怒りと屈辱が湧き上がる。
「ネオ・アヴァロンを名乗る、逆賊共よ。降伏せよ。アヴァロンはすでに、正当な国王たる余の手に戻った」
「黙れぇ! 貴様のような凡夫が、穢れた魔王の血筋が、この地の支配者であると誰が認めるものかぁ!!」
「————ふむ、ハイネよ、耳が痛いな。お前はいつも、余に厳しい諫言を述べてくれる」
「っ!? まさか、聞こえているのか……」
開戦前の一方的な宣言に過ぎないと思っていたが、空に映るミリアルドは確かに自分の言葉に答えていた。
こちらの音が、向こう側まで筒抜けに。しかし、だから何だと言うのだ。くだらない小細工だ。
「ああ、聞こえているとも。お前の言う通り、余は凡夫に過ぎぬ。こうして無様にも国を奪われ、十字教なる邪教にいいようにアヴァロンを弄ぶのを許してしまった。余は後世にまで愚王として語り継がれるであろうな。そんな愚か者が、この偉大なるアヴァロンの支配者に相応しいとは、とても言えぬ」
「下らん自虐を……そんな愚か者に我らが敗れるのだと、愚弄するつもりか、ミリアルド!」
「いいや、ハイネ、これは宣言だ」
「宣言、だと」
「如何にも。余は真にアヴァロンの支配者に相応しき者に、王位を譲る」
「ま、まさか貴様っ、正気かぁ!?」
「我らが偉大なる始祖、ミア・エルロードの加護を授かりし、新たなる魔王。エルロード帝国皇帝クロノに、アヴァロンは服従し、忠誠を誓う」
国の全てを売り渡す宣言に、討伐軍にも動揺が走った。
暗躍する魔王クロノが、アヴァロンを狙っていることは誰もが承知していること。だがしかし、正当なアヴァロン国王ミリアルドが、それを認め、自ら国を明け渡すなど、誰も想像しえなかった。百歩譲っても、ミリアルドを傀儡の王にして裏からアヴァロン支配をするだろう。
だがしかし、魔王は名実ともに、アヴァロンを手にすること望んだということだ。
「ハイネよ、もう一度言う。降伏せよ。このアヴァロンに真の支配者たる魔王が君臨されたのだ。最早、貴様らには万に一つの勝機もありはしない」
「おのれミリアルド、貴様には王としての矜持すら忘れたと言うのか!!」
元よりアヴァロンという国家に忠誠など誓ってはいない。しかしながら、こうも容易く国を渡すと恥ずかしげもなく公言するなど、王の決断としては信じがたい愚行。
ミリアルド王を退かせ、十字教がアヴァロンを牛耳った以上、彼に頼れる勢力が魔王のエルロード帝国しかなかったという状況は理解できるが……あまりにも、恥も外聞もない選択だ。国の全てを売り渡してまで助けを求めるなど、一国の王として決して許されない。
「王どころか、人として、男として、見下げ果てたぞ!」
「余のことなど、幾らでも罵倒するが良かろう。だがしかし、貴様も一軍を率いる将であるならば、冷静に判断せよ。この期に及んで、強大なる魔王軍に勝てると思うてか?」
「ぬかせっ! 総員、戦闘態勢! この私が直々に、恥知らずの愚王の首を討ち取ってくれる!!」
アークライト公爵の檄に、討伐軍が答える。
あと一言、攻撃開始の命が下れば、彼らは勢いのままに首都へと突撃を開始するだろう。
万を超える大軍同士がぶつかり合う、大戦が始まる寸前の、今にも破裂せんばかりの張り詰めた空気がこの場を支配した。
「ならば、余もアヴァロン国王として最後の命を下そう————ネオ・アヴァロンを僭称する逆賊共を、討て!」
朗々と響き渡るアヴァロン国王ミリアルドの声に答える、首都の防衛隊は……一人としていなかった。
正門を閉ざした首都からは、鬨の声どころか、号令の一つも聞こえて来ず、静まり返ったまま。そこには、ミリアルドただ一人しかいないかのような、異様なまでの静けさである。
「ふっ、声も上げられぬほど、疲弊しきっていると見る。国を捨てた愚かな王には、お似合いの弱兵よ」
と、あまりの静けさにそう侮った時である。
それは、音ではなく、影となって現れた。
影だ。大きな黒い影が天より差し込む。
「お、おい、なんだアレ……」
「嘘だろ、もしかしてアレって……」
兵のざわめきを叱責するよりも前に、アークライト公爵も自ら空を見上げた。
そこに、討伐軍に破滅の影を落とす、巨大な存在を見る。
「まさか、空中要塞! 何故だ、何故あのようなものが、このアヴァロンにっ!?」
第十一使徒ミサが誇る、自慢の空中要塞ピースフルハート。
その空を飛ぶ城の存在は、首都アヴァロンでは知らぬ者はいない有名なものであった。当然だ、空中という誰の目にも隠しようがないほど目立つ場所に、城のように巨大な物体が浮かんでいるのだから。
不遜にもアヴァロン王城の直上に浮かばせていたピースフルハートであったが、あれぞ正に神の遣いが住むに相応しい居城として、十字教の畏怖を首都の人々に知らしめるのに役立っていた。
また軍事に携わる騎士階級の者からすれば、あの空飛ぶ要塞が戦場においてどれほどの脅威となりえるか、というのも想像して然るべき。あんな人智を超えた古代兵器を持つのが味方で良かったと、誰もがそう結論づけた。
けれど、その存在を知っていたから、その脅威を想像していたからこそ、恐れた。首都アヴァロンの出身者で構成されている討伐軍の、誰もが恐れた。軍を率いる、アークライト公爵でさえ。
今まさに、自分達の頭上から、不吉な曇天を割って悠々とその姿を現した、漆黒の船体をした魔王の空中要塞を見上げ————ただ、震えた。
「みんなー、こーんにーちはー! リリィだよぉー!!」
圧倒的な存在感と威圧感を持って飛来した黒き空中要塞。そこからは、厳めしい外観とはあまりにもかけ離れた、能天気な幼い声が響き渡って来る。
その愛らしい声音を聞いて連想したのは、無邪気な幼児であるが故に、虫けらを踏みつぶして遊んで喜ぶような、無慈悲な残酷さであった。
「言うことを聞かない悪い子は————めっ、だよ」
ズドォオオオオオオオオオオッ!!
刹那、街道脇に巨大な火柱が上がる。
耳をつんざく大爆音と共に、駆け抜ける爆風が討伐軍に吹き付ける。今にも首都へ突撃せんばかりに高ぶっていた将兵の誰もが、耳を塞ぎ、叩きつけられる熱風にその身をすくませた。
「なっ、なんだ……撃たれたのか……アレから」
アークライト公爵は信じられない、いや、信じたくないという表情で、空中に浮かぶ黒鉄の城と、濛々と黒煙を噴き上げる街道脇の爆心地を、何度も視線を行き来させた。
ありえない状況に混乱する頭の中で、それでも冷静な部分が、僅かに煙を上げている空中要塞の砲身と、その先がちょうど爆発地点に向いているのを確認する。
撃たれた。間違いなく、あの空中要塞に搭載されている巨大な砲は、飾りではなく本物。古代兵器としての強大な破壊力を解き放つ主砲として、十全に機能していると理解した。
不幸中の幸いにも、討伐軍のど真ん中で炸裂することはなかったが……何のことはない、当たらなかったのではなく、当てなかった。今のは、威嚇であると直後に思い当たった。
次、撃たれれば終わる。
討伐軍丸ごと、吹き飛ばされて死に絶える。こちらからは何もできず、一方的に。
冷静な分析結果は、発狂しそうなほどに絶望的な状況を示す。思考は、そこで止まってしまった。
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
続いて、響き渡った咆哮に、さらに体が硬直した。
見れば、巨大な空中要塞の周囲を、翼を広げたドラゴンが飛んでいた。
竜騎士ドラグーン、ではない……大きい、あまりにも大きすぎる。
空中要塞が巨大すぎるだけで、その黒いドラゴンも騎乗用の飛竜ワイバーンとは比べ物にならないほどのサイズを誇っていると、しばらく呆然と見つめて気が付いた。
猛禽類に狙われる、小動物の気持ちが分かったような気がした。
黒竜は我こそがこの空の覇者であることを示すかのように、悠々と頭上を旋回する。そうして、存分にその飛び姿を見せつけた後に、空中要塞の上で止まる。
巨大な船型の艦橋に当たる、最も高い部分。その直上に、黒竜は堂々と降り立つ。
「我こそは、魔王クロノ」
重苦しい圧力を感じさせる男の声が、降り注ぐ。
「ネオ・アヴァロンの兵共よ、ひれ伏せ。恐れ、仰ぎ見ろ」
これが魔王軍。空を支配する、絶対的な力。
貴様らに万に一つも勝ち目などないと、そう思い知らせるには十分過ぎる演出だった。
「俺はミリアルドほど優しくはないぞ。今すぐ、跪け————」
「————いやぁ、討伐軍が降伏してくれて良かった」
「よかったねー」
天空戦艦シャングリラのブリッジ内、艦長席に座った俺は、膝の上に幼女リリィを乗せてホっと一息ついた。
王城を制圧し、首都アヴァロンの解放を完了した日、俺が真っ先にやったのがオリジナルモノリスの再黒化である。
これによってパンデモニウムとの転移を再び開通させることが、何を置いても最優先任務だ。逆に言えば、これさえ成功すれば首都の防衛は盤石となる。
当然だろう。転移ができるなら、パンデモニウムで養成した帝国軍をそのままこちらへ送らせることができるのだから。ジョセフとゼノンガルトには、苦労をかけた。
そんな本拠地からの増援部隊。その一番の目玉は勿論、リリィ元帥閣下ご自慢の天空戦艦シャングリラである。
煌めく白銀の船体が眩しい、というのは今は昔の話。武骨で重厚な黒一色に塗り直されているのは、リリィ曰く魔王クロノに相応しい乗艦となるよう改装中、とのこと。今のところは色だけ塗り替えた、といってもこれもまだ下塗りだけのような状態らしい。ともかく、改装が完了するにはまだ時間がかかるそうだが……ひとまず、空に浮かべて威嚇するには十分だ。
なにせコイツを頭上に浮かべるだけで、多少の竜騎士ドラグーンを抱えていても太刀打ちできはしない。
奴らの様子からして、ミサのピースフルハートで空飛ぶ戦艦の存在そのものは知っていたようだが……知っているからといって、すぐに対策など出来るはずもない。頼みの綱の使徒も、すでに討ち取られていては、奇跡の逆転劇も望めないだろう。
そんなワケで、シャングリラという決定的な戦力を見せつけて敵の士気を折ったのだが、実は結構ギリギリだったりする。
シャングリラをオリジナルモノリスで転移させるのは、リリィがディスティニーランドからパンデモニウムまで動かした実績があるので、可能だというのは分かっていた。しかし、気軽に何時でも何度でも、とはならない。
転移を行うとシャングリラのエネルギーをかなり食ってしまうのだ。
これが本来の仕様なのか、それとも完全に当時の性能まで復旧できていないせいなのかは分からないが、ともかく、転移直後に全力で戦闘をさせるにはちょっと不安になるくらいには残量が心許なくなる。
威嚇で主砲を一発撃ったはいいが、あと二、三発、撃つのが限界だった。
アークライト公爵が破れかぶれで、手持ちの竜騎士を全滅覚悟で特攻させれば、それなりに損害を被った可能性は高い。
まぁ、そうならないために、俺とベルクローゼンも出張ったワケだが。いざという時は、ベルにドラゴンブレスを浴びせかけ、討伐軍を早々に壊滅させるつもりだった。
「最後はリリィに頼ってしまって、悪かったな」
「むふふ、もっとリリィに頼っていいんだよ!」
得意気に言うリリィだが、ルーンとの同盟を取り付け艦隊連れてセレーネまで押し寄せ、俺が首都解放した翌日にはこっちまで戻り、パンデモニウムへ飛んでシャングリラに乗ってまた戻る————と、どれだけ仕事を任せているんだと。
しかし、帝国の代表として全権委任で外交に赴けるのも、シャングリラを十全に操艦できるのも、現状リリィしかいない以上は頼り切りになってしまうのは仕方がない。彼女の代わりに、これら重要な仕事ができる人材を育成するのは急務である。
「本当にありがとな。ほとんど俺の一存で決まったアヴァロン解放作戦も、これで無事に完了した」
「うん!」
これからはネロの専横のせいで荒れたアヴァロンの復興と統治に、スパーダにいる十字軍本隊に対する領土防衛と、解決するべき課題は山積みだ。
それでも、アヴァロンを帝国に加えることに成功したのは、非常に大きな成果であり、これからの対十字軍戦略に重要な価値があるだろう。
ひとまず、今日のところはこれで、めでたしめでたし————
「じゃあ、帰ったら大事なお話、しようね?」
ネルの熱烈なプロポーズ。
ベルクローゼンとの運命の契約。
個別で見れば何とも素敵な関係性に思えるが、俺にとっては十字軍よりも恐ろしい大戦の火種である。
というか、すでに荒れた。リリィがセレーネから首都アヴァロンへとやって来た、その日の内に。
荒れに荒れただけで、いまだ全く解決されていない。
はぁ、マジでこれどうすんの……今回はもう本当にダメかも分からんね……
俺は遠い目をしながら、膝の上でキャッキャとはしゃぐリリィの頭を撫でた。まるで、核ミサイルの発射スイッチに触れているような気分だぜ。
「ば、馬鹿な……そんな馬鹿なっ!?」
野営の天幕の中で、アークライト公爵の叫びが響く。
公爵という上位貴族として、何よりも十字教への信仰を秘して来た隠れ信者として、人前で感情を表に出すことなどしないが、それでも耳を疑うような凶報を前に、叫びの一つも上がるというものだろう。
「首都が陥落した、だとぉ……ええい、使徒はっ! 第十二使徒マリアベル卿は何をしておったのだ!?」
「第十二使徒マリアベル卿は、押し寄せる反乱軍から王城を守るため奮戦しましたが……魔王クロノの前に、敗れ去りました」
「使徒が、負けた……? し、死んだのか」
「その首は氷漬けの上、王城正門前に晒されております」
すでにして、第十二使徒の死が大々的に広められている。
これでは、首都にいる数多の十字教徒も反抗する気力は失われてしまう。高名な敵将を討ち取り晒し物にすることで、敵の士気を挫くのは古来よりある定番の手法であるが、十字教における使徒がそれをされたならば、事は士気だけに関わらず信仰にも影響する。
最悪だ。考え得る限り、最悪の事態が起こってしまった。
「わ、私は……魔王の力を、読み違えたと言うのか……」
自身の優位を確信した上で、反乱軍討伐に出張って来たのだ。
レジスタンスなどという抵抗勢力が首都に蔓延っているのは分かっていたが、それでも首都の守りは盤石だと思っていた。十分な兵数が駐留し、使徒の守りまであるのだ。これ以上を求めていれば、王城から一歩も動くことなどできはしない。
「ヴィッセンドルフめの主力部隊も、セレーネに現れたルーン艦隊も、全ては陽動……魔王の狙いは、首都にいる使徒の首のみであったということか」
圧倒的な優位にでも経たない限り、使徒の首など狙いはしない。
確かに、クロノはすでに第七使徒サリエルを討っている。だがそれはガラハド戦争という両軍がぶつかり合い、十字軍が今まさに敗走を始めた段階で挑まれた戦いであったと聞いている。
当時の第七使徒は、敗走する大軍の殿という、形勢不利のお手本のような戦況に立たされていた。
しかし、今回はそうではない。いくらレジスタンスが活動していようが、首都アヴァロンの防衛戦力を上回ることはないのだが————それが覆されたということは、単純な兵力数ではなく、魔王クロノを筆頭とした特化戦力が数の不利を埋めるほどの強さを誇っていたということになる。
「何ということだ……すでに奴は、魔王を名乗るに相応しい力まで手にしていたと……」
「公爵閣下、如何なさいますか」
もっと早い内に、魔王の危険性を予見できなかったのか、と後悔が渦巻いて来るが、配下の問いかけに思考を切り替える。
「急ぎ、首都へ戻る。今ならまだ、奪還も間に合うであろう」
「ははっ!」
それ以外に、動きようはない。
一時的にでも首都を奪われただけでも大失態だと言うのに、このまま本当にアヴァロン全土を魔王の手に落とすのは、それだけは絶対に防がなければならない。
「落ち着け……そうだ、まだ間に合う……」
幸いにも、ヴィッセンドルフ辺境伯の率いる、最大規模の兵数を擁する反乱軍主力とは、いまだ一戦も交えていない。
こちらは小さな平野部での会戦を想定し陣を張ったが、肝心の反乱軍が手前の町に籠ったきりまるで動く様子がない。こちらの方が戦力に勝るとはいえ、石壁に囲われた町に立て籠もった相手を攻めるとなれば、相応の損害は避けられない。
だが反乱軍もその目的からして、いつまでも町に籠ってはいられないと踏み、平野に出てくるのを待ちながら、数日に渡って両軍が睨み合いをしている中で、今回の報告が届いたのだった。
今となっては、ヴィッセンドルフ辺境伯の反乱軍主力も陽動であったために、こちらとの決戦を避けたという意図が明らかとなったが、だからこそアークライト公爵率いる討伐軍も無傷のまま。
こちらは早々に反乱軍を討ち滅ぼすために、首都防衛に残してきた部隊よりも、遥かに精鋭を揃えている。アヴァロンに残っている軍としては、主力部隊と呼んでも過言ではない。
自分達が残っている限り、ネオ・アヴァロン軍はまだ負けてはいない。
「よいか、幾ら使徒を倒したとはいえ、奴らの損害も相当なものに違いない。万全の状態の我々が首都へと戻れば、そのまま一気呵成に王城を奪還するのだ!」
敵は首都防衛隊と使徒を打ち破り、満身創痍。何とか首都の占領を宣言しているに過ぎず、これを守り切る体勢が整っているはずがない。
だが時間をかけるほど、相手も防備を固めてゆく。よって、一刻も早く首都へと戻ることが重要だ、とアークライト公爵は兵を鼓舞しながら、帰還の途についた。
撤退中の背後を反乱軍主力に襲われないよう、最低限の殿部隊だけ残し、糧食などの物資も置き去りに、とにかくまとまった戦力だけを連れて、街道を突き進む。
やはり、戻って来る討伐軍にちょっかいをかけるほどの余裕も、反乱軍には……いいや、今や魔王軍と呼ぶべきか。
魔王率いる恐るべき軍勢も、首都に籠り切りのようで、街道を進む討伐軍には罠や奇襲は一切なく、撤退は順調に進んで行った。
そうして、初火の月7日。朝方。
夜を徹して突き進み、ついにアークライト公爵率いる討伐軍は、首都アヴァロンへと辿り着いた。
頭上には不吉な暗雲が重く立ち込めており、今にも豪雨が降り注ぎ、落雷が轟きそうな空模様である。
もっとも、どれほど雨が降ろうと、雷に打たれようと、敵に占領された首都を前に止まることは決してないだろう。
行軍の疲労を吹き飛ばすほどの怒りと戦意をたぎらせて、アークライト公爵は自ら全軍の前へと進み出た。
「これより、我らが首都を奪還する!」
オオオッ! と帰る場所を取り戻すために、討伐軍兵士が意気軒昂に応える。
首都に続く街道の向こう側には、アヴァロンを象徴する巨大な正門がある。討伐軍が出陣する時には、華々しい見送りと共に潜り抜けてきた門は、今や自分達を拒むように固く閉ざされている。
こんなことは、あってはならない。許してはならない。首都アヴァロンはこれより、パンドラ大陸に白き神の教えを広めるための中心地、聖なる都となるのだから。
邪悪なる魔王の手から、今すぐに取り戻して見せる————そう誰もが士気高らかに、攻撃を始めようとしたその時であった。
「————余は、アヴァロン国王、ミリアルド・ユリウス・エルロードである」
厳かな声音が響くと共に、空に大きな人影が映し出される。
これより首都に攻め入ろうと陣取っている討伐軍からも良く見える。ちょうど正門の真上辺りに、四角く輝く窓のように照らされていた。
そこに映るのは、冴えない中年の男。しかし王冠と王錫を手に、煌びやかな真紅のローブと黒い正装に身を包んだ、アヴァロンの国王に相応しい出で立ち。
「み、ミリアルドぉ……貴様、戻っていたのかぁ!」
幼い頃は友として。長じてからは臣として。だがしかし、心の底では決して一度も、友であるとも主であるとも認めることはなかった。玉座を追われることが定められていた哀れな裸の王が、本物の王として返り咲く姿に、アークライト公爵は目の前が真っ赤になるような怒りと屈辱が湧き上がる。
「ネオ・アヴァロンを名乗る、逆賊共よ。降伏せよ。アヴァロンはすでに、正当な国王たる余の手に戻った」
「黙れぇ! 貴様のような凡夫が、穢れた魔王の血筋が、この地の支配者であると誰が認めるものかぁ!!」
「————ふむ、ハイネよ、耳が痛いな。お前はいつも、余に厳しい諫言を述べてくれる」
「っ!? まさか、聞こえているのか……」
開戦前の一方的な宣言に過ぎないと思っていたが、空に映るミリアルドは確かに自分の言葉に答えていた。
こちらの音が、向こう側まで筒抜けに。しかし、だから何だと言うのだ。くだらない小細工だ。
「ああ、聞こえているとも。お前の言う通り、余は凡夫に過ぎぬ。こうして無様にも国を奪われ、十字教なる邪教にいいようにアヴァロンを弄ぶのを許してしまった。余は後世にまで愚王として語り継がれるであろうな。そんな愚か者が、この偉大なるアヴァロンの支配者に相応しいとは、とても言えぬ」
「下らん自虐を……そんな愚か者に我らが敗れるのだと、愚弄するつもりか、ミリアルド!」
「いいや、ハイネ、これは宣言だ」
「宣言、だと」
「如何にも。余は真にアヴァロンの支配者に相応しき者に、王位を譲る」
「ま、まさか貴様っ、正気かぁ!?」
「我らが偉大なる始祖、ミア・エルロードの加護を授かりし、新たなる魔王。エルロード帝国皇帝クロノに、アヴァロンは服従し、忠誠を誓う」
国の全てを売り渡す宣言に、討伐軍にも動揺が走った。
暗躍する魔王クロノが、アヴァロンを狙っていることは誰もが承知していること。だがしかし、正当なアヴァロン国王ミリアルドが、それを認め、自ら国を明け渡すなど、誰も想像しえなかった。百歩譲っても、ミリアルドを傀儡の王にして裏からアヴァロン支配をするだろう。
だがしかし、魔王は名実ともに、アヴァロンを手にすること望んだということだ。
「ハイネよ、もう一度言う。降伏せよ。このアヴァロンに真の支配者たる魔王が君臨されたのだ。最早、貴様らには万に一つの勝機もありはしない」
「おのれミリアルド、貴様には王としての矜持すら忘れたと言うのか!!」
元よりアヴァロンという国家に忠誠など誓ってはいない。しかしながら、こうも容易く国を渡すと恥ずかしげもなく公言するなど、王の決断としては信じがたい愚行。
ミリアルド王を退かせ、十字教がアヴァロンを牛耳った以上、彼に頼れる勢力が魔王のエルロード帝国しかなかったという状況は理解できるが……あまりにも、恥も外聞もない選択だ。国の全てを売り渡してまで助けを求めるなど、一国の王として決して許されない。
「王どころか、人として、男として、見下げ果てたぞ!」
「余のことなど、幾らでも罵倒するが良かろう。だがしかし、貴様も一軍を率いる将であるならば、冷静に判断せよ。この期に及んで、強大なる魔王軍に勝てると思うてか?」
「ぬかせっ! 総員、戦闘態勢! この私が直々に、恥知らずの愚王の首を討ち取ってくれる!!」
アークライト公爵の檄に、討伐軍が答える。
あと一言、攻撃開始の命が下れば、彼らは勢いのままに首都へと突撃を開始するだろう。
万を超える大軍同士がぶつかり合う、大戦が始まる寸前の、今にも破裂せんばかりの張り詰めた空気がこの場を支配した。
「ならば、余もアヴァロン国王として最後の命を下そう————ネオ・アヴァロンを僭称する逆賊共を、討て!」
朗々と響き渡るアヴァロン国王ミリアルドの声に答える、首都の防衛隊は……一人としていなかった。
正門を閉ざした首都からは、鬨の声どころか、号令の一つも聞こえて来ず、静まり返ったまま。そこには、ミリアルドただ一人しかいないかのような、異様なまでの静けさである。
「ふっ、声も上げられぬほど、疲弊しきっていると見る。国を捨てた愚かな王には、お似合いの弱兵よ」
と、あまりの静けさにそう侮った時である。
それは、音ではなく、影となって現れた。
影だ。大きな黒い影が天より差し込む。
「お、おい、なんだアレ……」
「嘘だろ、もしかしてアレって……」
兵のざわめきを叱責するよりも前に、アークライト公爵も自ら空を見上げた。
そこに、討伐軍に破滅の影を落とす、巨大な存在を見る。
「まさか、空中要塞! 何故だ、何故あのようなものが、このアヴァロンにっ!?」
第十一使徒ミサが誇る、自慢の空中要塞ピースフルハート。
その空を飛ぶ城の存在は、首都アヴァロンでは知らぬ者はいない有名なものであった。当然だ、空中という誰の目にも隠しようがないほど目立つ場所に、城のように巨大な物体が浮かんでいるのだから。
不遜にもアヴァロン王城の直上に浮かばせていたピースフルハートであったが、あれぞ正に神の遣いが住むに相応しい居城として、十字教の畏怖を首都の人々に知らしめるのに役立っていた。
また軍事に携わる騎士階級の者からすれば、あの空飛ぶ要塞が戦場においてどれほどの脅威となりえるか、というのも想像して然るべき。あんな人智を超えた古代兵器を持つのが味方で良かったと、誰もがそう結論づけた。
けれど、その存在を知っていたから、その脅威を想像していたからこそ、恐れた。首都アヴァロンの出身者で構成されている討伐軍の、誰もが恐れた。軍を率いる、アークライト公爵でさえ。
今まさに、自分達の頭上から、不吉な曇天を割って悠々とその姿を現した、漆黒の船体をした魔王の空中要塞を見上げ————ただ、震えた。
「みんなー、こーんにーちはー! リリィだよぉー!!」
圧倒的な存在感と威圧感を持って飛来した黒き空中要塞。そこからは、厳めしい外観とはあまりにもかけ離れた、能天気な幼い声が響き渡って来る。
その愛らしい声音を聞いて連想したのは、無邪気な幼児であるが故に、虫けらを踏みつぶして遊んで喜ぶような、無慈悲な残酷さであった。
「言うことを聞かない悪い子は————めっ、だよ」
ズドォオオオオオオオオオオッ!!
刹那、街道脇に巨大な火柱が上がる。
耳をつんざく大爆音と共に、駆け抜ける爆風が討伐軍に吹き付ける。今にも首都へ突撃せんばかりに高ぶっていた将兵の誰もが、耳を塞ぎ、叩きつけられる熱風にその身をすくませた。
「なっ、なんだ……撃たれたのか……アレから」
アークライト公爵は信じられない、いや、信じたくないという表情で、空中に浮かぶ黒鉄の城と、濛々と黒煙を噴き上げる街道脇の爆心地を、何度も視線を行き来させた。
ありえない状況に混乱する頭の中で、それでも冷静な部分が、僅かに煙を上げている空中要塞の砲身と、その先がちょうど爆発地点に向いているのを確認する。
撃たれた。間違いなく、あの空中要塞に搭載されている巨大な砲は、飾りではなく本物。古代兵器としての強大な破壊力を解き放つ主砲として、十全に機能していると理解した。
不幸中の幸いにも、討伐軍のど真ん中で炸裂することはなかったが……何のことはない、当たらなかったのではなく、当てなかった。今のは、威嚇であると直後に思い当たった。
次、撃たれれば終わる。
討伐軍丸ごと、吹き飛ばされて死に絶える。こちらからは何もできず、一方的に。
冷静な分析結果は、発狂しそうなほどに絶望的な状況を示す。思考は、そこで止まってしまった。
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
続いて、響き渡った咆哮に、さらに体が硬直した。
見れば、巨大な空中要塞の周囲を、翼を広げたドラゴンが飛んでいた。
竜騎士ドラグーン、ではない……大きい、あまりにも大きすぎる。
空中要塞が巨大すぎるだけで、その黒いドラゴンも騎乗用の飛竜ワイバーンとは比べ物にならないほどのサイズを誇っていると、しばらく呆然と見つめて気が付いた。
猛禽類に狙われる、小動物の気持ちが分かったような気がした。
黒竜は我こそがこの空の覇者であることを示すかのように、悠々と頭上を旋回する。そうして、存分にその飛び姿を見せつけた後に、空中要塞の上で止まる。
巨大な船型の艦橋に当たる、最も高い部分。その直上に、黒竜は堂々と降り立つ。
「我こそは、魔王クロノ」
重苦しい圧力を感じさせる男の声が、降り注ぐ。
「ネオ・アヴァロンの兵共よ、ひれ伏せ。恐れ、仰ぎ見ろ」
これが魔王軍。空を支配する、絶対的な力。
貴様らに万に一つも勝ち目などないと、そう思い知らせるには十分過ぎる演出だった。
「俺はミリアルドほど優しくはないぞ。今すぐ、跪け————」
「————いやぁ、討伐軍が降伏してくれて良かった」
「よかったねー」
天空戦艦シャングリラのブリッジ内、艦長席に座った俺は、膝の上に幼女リリィを乗せてホっと一息ついた。
王城を制圧し、首都アヴァロンの解放を完了した日、俺が真っ先にやったのがオリジナルモノリスの再黒化である。
これによってパンデモニウムとの転移を再び開通させることが、何を置いても最優先任務だ。逆に言えば、これさえ成功すれば首都の防衛は盤石となる。
当然だろう。転移ができるなら、パンデモニウムで養成した帝国軍をそのままこちらへ送らせることができるのだから。ジョセフとゼノンガルトには、苦労をかけた。
そんな本拠地からの増援部隊。その一番の目玉は勿論、リリィ元帥閣下ご自慢の天空戦艦シャングリラである。
煌めく白銀の船体が眩しい、というのは今は昔の話。武骨で重厚な黒一色に塗り直されているのは、リリィ曰く魔王クロノに相応しい乗艦となるよう改装中、とのこと。今のところは色だけ塗り替えた、といってもこれもまだ下塗りだけのような状態らしい。ともかく、改装が完了するにはまだ時間がかかるそうだが……ひとまず、空に浮かべて威嚇するには十分だ。
なにせコイツを頭上に浮かべるだけで、多少の竜騎士ドラグーンを抱えていても太刀打ちできはしない。
奴らの様子からして、ミサのピースフルハートで空飛ぶ戦艦の存在そのものは知っていたようだが……知っているからといって、すぐに対策など出来るはずもない。頼みの綱の使徒も、すでに討ち取られていては、奇跡の逆転劇も望めないだろう。
そんなワケで、シャングリラという決定的な戦力を見せつけて敵の士気を折ったのだが、実は結構ギリギリだったりする。
シャングリラをオリジナルモノリスで転移させるのは、リリィがディスティニーランドからパンデモニウムまで動かした実績があるので、可能だというのは分かっていた。しかし、気軽に何時でも何度でも、とはならない。
転移を行うとシャングリラのエネルギーをかなり食ってしまうのだ。
これが本来の仕様なのか、それとも完全に当時の性能まで復旧できていないせいなのかは分からないが、ともかく、転移直後に全力で戦闘をさせるにはちょっと不安になるくらいには残量が心許なくなる。
威嚇で主砲を一発撃ったはいいが、あと二、三発、撃つのが限界だった。
アークライト公爵が破れかぶれで、手持ちの竜騎士を全滅覚悟で特攻させれば、それなりに損害を被った可能性は高い。
まぁ、そうならないために、俺とベルクローゼンも出張ったワケだが。いざという時は、ベルにドラゴンブレスを浴びせかけ、討伐軍を早々に壊滅させるつもりだった。
「最後はリリィに頼ってしまって、悪かったな」
「むふふ、もっとリリィに頼っていいんだよ!」
得意気に言うリリィだが、ルーンとの同盟を取り付け艦隊連れてセレーネまで押し寄せ、俺が首都解放した翌日にはこっちまで戻り、パンデモニウムへ飛んでシャングリラに乗ってまた戻る————と、どれだけ仕事を任せているんだと。
しかし、帝国の代表として全権委任で外交に赴けるのも、シャングリラを十全に操艦できるのも、現状リリィしかいない以上は頼り切りになってしまうのは仕方がない。彼女の代わりに、これら重要な仕事ができる人材を育成するのは急務である。
「本当にありがとな。ほとんど俺の一存で決まったアヴァロン解放作戦も、これで無事に完了した」
「うん!」
これからはネロの専横のせいで荒れたアヴァロンの復興と統治に、スパーダにいる十字軍本隊に対する領土防衛と、解決するべき課題は山積みだ。
それでも、アヴァロンを帝国に加えることに成功したのは、非常に大きな成果であり、これからの対十字軍戦略に重要な価値があるだろう。
ひとまず、今日のところはこれで、めでたしめでたし————
「じゃあ、帰ったら大事なお話、しようね?」
ネルの熱烈なプロポーズ。
ベルクローゼンとの運命の契約。
個別で見れば何とも素敵な関係性に思えるが、俺にとっては十字軍よりも恐ろしい大戦の火種である。
というか、すでに荒れた。リリィがセレーネから首都アヴァロンへとやって来た、その日の内に。
荒れに荒れただけで、いまだ全く解決されていない。
はぁ、マジでこれどうすんの……今回はもう本当にダメかも分からんね……
俺は遠い目をしながら、膝の上でキャッキャとはしゃぐリリィの頭を撫でた。まるで、核ミサイルの発射スイッチに触れているような気分だぜ。