アスラン・ザラとラクス・クライン。それぞれの名前は今や最高評議会議員として、プラントのみならず地球でも広く知られている。大戦中の行動で有名になったために、議員に就任した時にはあらゆるマスコミに取り上げられたものだ。一方で、キラの存在は個人的な人脈以外にはあまり知られていない。そのためアスランとラクスの名がセットになったときに連想される関係は、議員仲間でも戦友でもなく、元婚約者という肩書きが圧倒的に多い。つまり、議員として同じ場に出席することも少なくないアスランとラクスは、事情を知らない人々には、その肩書き相応の関係だと認識され、ゴシップの餌食となる確率が圧倒的に高いのだ。
また、と言われて買った週刊誌を開く。アスランはエスコートのために腕をラクスの腰に添え、二人で談笑しながら歩いている場面。茂みに隠れて撮ったようなアングルの写真をさっと目にすると、アスランは文字を追うことなく額に手を当て、どっときた疲労に任せて背もたれに倒れこんだ。就任時にキラとラクスの勧めで購入した書斎のリクライニングチェアは、衝撃をすべて吸収してアスランの体を受け止める。
キラがいるのにも関らず世間にこういう扱いを受けるのは、ラクスがそういった素振りを見せないからじゃないのかと、アスランは投げやりに考えた。自分に特定の相手がいないことは棚に上げて。
思わず見とれてしまう、細く白い指。丸く整えられた爪。どちらの薬指にも、装飾品は見当たらない。
「どうかしました? アスラン」
返事を誘うように首が傾げられる。昔から変わらず、かわいらしい仕草だった。そう言えば、ザラに男子がクラインに女子が生まれた時点で既に将来がほのめかされ、婚約解消して以来はつかず離れずだったが、結局またこうして同じ場所にいる。親友であるキラよりも長い、字面通り一生の付き合いだなとおかしくなった。
今だって、「婚約してたじゃない」とキラに言われるまま、表舞台に出ることを好まない彼の代わりに、引退した議員の誕生日パーティーだかでラクスのエスコートをすることになっている。過去に婚約していた事実があるからこそこの役目は相応しくないんじゃないかと思ったものの、この件は聞いても適当に理由がつけられることがわかっているので、疑問を飲み込んで引き受けた。疑問は湧くが、嫌ではなかったのだ。
早めに迎えに来たらラクスも支度を終わらせていたので、会場に出かける前にこうしてラクスが直々に淹れてくれたお茶を飲んでいる。キラはすることがあるらしく、軽く言葉を交わした後は自室に帰ってしまった。
手を見ていたことに気付かれてしまったので、どうせならとアスランは前日から考えていたことを吐露する。それが的を外した考えだとは思わなかった。
「あなたが指輪をしていれば、周囲を誤解させることもないのでは思いまして」
ラクスには、憤慨しながらイザークが教えてくれた雑誌のスクープが思い当たった。ならばとアスランの手を見ると、自分が知る限りあるはずのない指輪は、やはり薬指にはまっていない。確かに、一方だけが指輪をしていれば誤解も減るだろう。
「指輪、ですか」
ラクスはかすかに口端を上げる。伏せた目元にふわりと髪がかかる。既に湯気の立たなくなった紅茶の水面を眺めるふりをして、自嘲になる口元を隠そうとする。
「おそらく……、キラからは貰えませんわね。わたくしも欲しいとは思いません」
「そう、なんですか。てっきり女性は喜ぶ物なのかと」
アスランからすれば思ってもみなかった返答だった。ならば疑うべきは自分の常識だ。そう考えたのに、ラクスはふふっと吹き出して顔を上げた。
「もちろん、頂ければ嬉しいものですわ」
「それでは、なぜ?」
理解しがたそうな表情でアスランが問いかける。それは深い思慮なく飛び出た言葉で、核心に切り込んでいるとはアスランは気づいていないのだろう。けれどそうでもしなければ、人の痛みがわかるキラの前では、ラクスは本音を出せないのだ。
「薬指の指輪は、優しさだけで贈ってはいけないでしょう」
キラが、自分をはるかに上回る思いやりのある人間だということはアスランも重々承知していた。そのキラに足りないものと言っても即座には浮かばない。なので素直にラクスに訊く。
「何が他に必要なんですか?」
「何だと思います?」
疑問形で返されるのは、はぐらかされているから。そのことにアスランは気付かず、言葉に詰まる。些細なことにも真剣になってしまうのがアスランで、そんな所が好ましいとラクスは思う。
堅物と言われる人だから、責任や覚悟といった言葉が返ってくるのかもしれないとラクスは予想する。恋愛ごとは苦手そうな彼だけれども、アスランは一度指輪を贈ったことがあるのだ。オーブの代表を勤める彼女と会える機会は、今ではめっきり減ってしまったようだが。
アスランはかつて一度だけ送ったことのある指輪を思い出した。帰ってくる約束の証のようにして渡した指輪だが、実はずっと前に買っていたのだ。タイミングと勇気が足りなくてなかなか言い出せなかっただけで。そんな感慨とともに思い出された彼女の髪も目も、いつもキラキラと太陽の光を吸い込んで放っているようで眩しい。今でも、言葉に言い尽くせないほど大切な友人だ。
あっているかはわかりませんが、と前置きをしてから、アスランはためらいがちに答えた。
「……気持ち、ですか?」
「あなたがカガリに贈った時はそうでしたのね」
わかりやすくアスランはだじろいだ。手にしていたティーカップが揺れる。
ああ、それでは。ラクスも紅茶を一口飲んだ。あの指輪にはアスランの気持ちがいっぱいに込められていたのだ。それを受け取るのは、わたくしではなかった。最も妥当な相手であるはずのわたくしでは、ありえなかった。
「やっぱり、指輪はほしいかもしれません」
「はぁ」
アスランは、矛盾しているなと思いつつも、ラクスの言うことを完璧に理解できた試しがないので、そんなものかと反論しない。
「あなたがわたくしに指輪をくださるとしたら、どんな思いを込めてくれるんでしょうね」
「……っ、はあ!?」
先程とは比べようもないほど慌てるアスランに、こらえきれなくてラクスはお腹を抱える。笑い過ぎで浮かぶ涙をぬぐう合間に、からかわれたのかと憮然とした表情になるアスランを目にして、わたくしはあなたから指輪がほしいという言葉を飲み込んだ。
「……時間です」
腕時計に目をやり告げたアスランに、ええ、と答える。表情はむすっとしていたが、アスランは最後に紅茶を飲みほすとごちそう様でしたと礼を言ってくれる。ラクスも残った分を飲んでしまうと、アスランは立ち上がって椅子を引いてくれた。紳士なのだと思う。
「ごめんなさい。でも、あなたから頂けたらきっと素敵ですわ」
「キラに言ってください」
こうしてしか、ラクスは本音を出せないのだ。
笑いをようやく止めたラクスの腰に手を添えようとして、アスランはためらう。立ち止まったアスランを振り返り手が宙でさまよってるのを見て、ラクスはにっこりとその手を取る。
「キラもわたくしも、気にしません」
「それならいいのですが」
そのまま歩みを進めようとして、何か変だと思ったら、手がつながれていた。婚約していた時期でさえしたことのなかった行為にアスランはぎくっと手を引く。ラクスが見上げてくる。
「何か?」
ラクスに微笑まれると何も言えなくなることを、アスランは改めて自覚する。屋敷の中だけなら、と妥協を苦笑で示すと、応じて見せたラクスの笑顔は無邪気で、彼女の父が健在だった頃にしか見たことがなかったもので驚いた。一生の付き合いだが、変わるものも変わらないものもあるのだ。少しずつ距離が近づいているように、彼女の仕草はいつまでもかわいらしいのだろうと思うように。
ラクスの細い指が揃って自分の手の甲に当てられているのが何とも奇妙な感覚で、もともと手をつないで歩くこと自体が初めてだったのだと思い直す。直に触れる手のひら。意識しないように他のことを思い返す。ラクスが勧めてくれた書斎の椅子について礼を言っていなかったことが思い当たったが、言葉を口に出せる状況でもない。再び意識をしてしまう。繋ぐというより、包むといった方が正しいくらい、ラクスの手はか細く小さかった。
指輪をしていない方が手はつなぎやすいのだと、なら俺はあなたに指輪を贈りたくないという考えに至った自分の胸に、くすぶるものがあったのを、アスランは見なかったことにする。
ラクスには、キラがいる。