来自江户初期的《四十二国人物图说》
正徳4(1714)年の序がある西川如见『四十二国人物図说』には五大洲は亜细亜(ヤスイヤ)、利未亜(リミヤ=アフリカ)、欧罗巴(エフロツパ)、亜墨利加(アメリキヤ)、墨瓦腊尼加 (メガラニキヤ=南半球の大陆)としている。そこにある42の国は、大明、大清、鞑靼、朝鲜、兀良哈(ヲランカイ)、琉球、东京(トンキン)、答加沙谷(タカサゴ)、吕宋(ロソン)、刺答兰(ラタラン)、呱哇(ジャワ)、苏门答刺(スマンダラ)、暹罗(シャムラウ)、罗乌(ラウ)、莫卧尔(モウル)、百児齐亜(ハルシヤ)、亜尔默尼亜(アルメニヤ)、亜婿港(アマカウ)、度尔格(トルコ)、马加撒尔(マカザル)、盘朶(ハンダ)、亜费利加(アヒリカ)、加拂里(カフリ)、为匿亜(ギネイヤ)、比里太尻亜(ヒリタニヤ)、莫斯哥米亜(ムスコフビイヤ)、工答里亜(ゴンタウリヤ)、太泥亜(タニヤ)、翁加里亜(オンカリヤ)、波罗尼亜(ポロニヤ)、意太里亜(イタリヤ)、齐尔玛尼亜(セルマニヤ)、拂郎察(フランス)、阿兰陀(ヲランダ)、谙巵利亜(インギリヤ)、撒児木(ザルモ)、阿勒恋(アロレン)、加拿林(カナリン)、亜瓦的革(アガレカ)、伯刺西尔(ハラジイル)、小人、长人、である。
実际の地名の最后に小人、大人を加えるのは、如见以前からの人物図を継承している。如见によれば、小人は波智亜(ボチヤ)というヨーロッパ东北辺の寒冷国であるという。半年は昼のみ続き、后の半年は夜のみ続く。身长は1尺2、3寸と伝えられるが如见は2尺余はあると说明している。一方长人は智加(チカ)という南アメリカの国で、隣国の巴太温度(ハダウン)とともに身长1丈2尺の人々が住んでいる。四季があり、勇强で弓矢を好む。
巻末に如见は人物図はポルトガル、オランダの西洋人がもたらしたものを、长崎の絵师が写して世に広めたものだと由来を记している。最初は40ヶ国であったが42に増补したが、采用した国名は长崎の古老の说を参考にしたと断っている。このように世界図は长崎土产となり、如见の42国人物図は后の同様の外人図の规范となっていった。
按照这里的说法,是日本画师根据葡萄牙和荷兰传入的记录描绘的,虽然已经是18世纪初,但考虑到江户幕府的锁国政策,这些插画的来源很可能还停留在15-17世纪的风貌
正徳4(1714)年の序がある西川如见『四十二国人物図说』には五大洲は亜细亜(ヤスイヤ)、利未亜(リミヤ=アフリカ)、欧罗巴(エフロツパ)、亜墨利加(アメリキヤ)、墨瓦腊尼加 (メガラニキヤ=南半球の大陆)としている。そこにある42の国は、大明、大清、鞑靼、朝鲜、兀良哈(ヲランカイ)、琉球、东京(トンキン)、答加沙谷(タカサゴ)、吕宋(ロソン)、刺答兰(ラタラン)、呱哇(ジャワ)、苏门答刺(スマンダラ)、暹罗(シャムラウ)、罗乌(ラウ)、莫卧尔(モウル)、百児齐亜(ハルシヤ)、亜尔默尼亜(アルメニヤ)、亜婿港(アマカウ)、度尔格(トルコ)、马加撒尔(マカザル)、盘朶(ハンダ)、亜费利加(アヒリカ)、加拂里(カフリ)、为匿亜(ギネイヤ)、比里太尻亜(ヒリタニヤ)、莫斯哥米亜(ムスコフビイヤ)、工答里亜(ゴンタウリヤ)、太泥亜(タニヤ)、翁加里亜(オンカリヤ)、波罗尼亜(ポロニヤ)、意太里亜(イタリヤ)、齐尔玛尼亜(セルマニヤ)、拂郎察(フランス)、阿兰陀(ヲランダ)、谙巵利亜(インギリヤ)、撒児木(ザルモ)、阿勒恋(アロレン)、加拿林(カナリン)、亜瓦的革(アガレカ)、伯刺西尔(ハラジイル)、小人、长人、である。
実际の地名の最后に小人、大人を加えるのは、如见以前からの人物図を継承している。如见によれば、小人は波智亜(ボチヤ)というヨーロッパ东北辺の寒冷国であるという。半年は昼のみ続き、后の半年は夜のみ続く。身长は1尺2、3寸と伝えられるが如见は2尺余はあると说明している。一方长人は智加(チカ)という南アメリカの国で、隣国の巴太温度(ハダウン)とともに身长1丈2尺の人々が住んでいる。四季があり、勇强で弓矢を好む。
巻末に如见は人物図はポルトガル、オランダの西洋人がもたらしたものを、长崎の絵师が写して世に広めたものだと由来を记している。最初は40ヶ国であったが42に増补したが、采用した国名は长崎の古老の说を参考にしたと断っている。このように世界図は长崎土产となり、如见の42国人物図は后の同様の外人図の规范となっていった。
按照这里的说法,是日本画师根据葡萄牙和荷兰传入的记录描绘的,虽然已经是18世纪初,但考虑到江户幕府的锁国政策,这些插画的来源很可能还停留在15-17世纪的风貌