松村香织 - 2012/3/11 - Mobile - 公开
东日本大震灾から1年…
あの时の记忆を忘れない为にも
去年のぶろぐを载せます
[2011-03-16 22:38:00 UP]
かおたん*ぶろぐ53
こんばんは。
大家好。
研究生の松村香织です。
我是研究生松村香织。
アメブロコメント栏などで
わざわざご心配して
下さったみなさん
ありがとうございます。
所有在Ameblo的留言栏
表达关心之意的各位
非常感谢你们。
テレビを见ると信じられない
光景を日々目の当たりにし
想像を绝する被害に
茫然としました。
即使从电视上看见仍然无法置信的光景
每天不断映入眼帘
这远远超乎想像的灾害
令我整个人都恍惚了。
被灾地の方には
こころよりお见舞い申し上げます。
灾区的各位
由衷祈求你们平安。
一言で言うと軽いようですが
言わずにはいられません。
虽然可能会被认为很肤浅
但是我认为还是必须说出来。
それと同时に新闻やネットや
テレビやラジオなどで
良识的な発言に
こころ强く感じたり
不谨慎な発言に怒りを
覚えたりしました。
在此刻我心中一方面为了
无论是新闻、网路、电视或是广播
都充满了建设性的发言而感到心安的同时
也为了一些不慎重的发言而感到生气。
自分达の地域が无事で
あったことは喜ぶべきではあり
自身の生活の営みを
止める訳にはいかないけれど
いまだに余震が続くのに
呑気な方が多いなと感じてしまいます。
虽然自己所在的地区平安无事是值得开心的事
也不该把地震当做是中断日常生活的理由
可是
明明到现在为止,余震都还在持续著
却有太多人冷眼旁观了。
しかしこないだ起こった
ニュ-ジ-ランド地震でも
被灾者家族の方々の视点から见れば
自分も呑気な连中の一人で
あったかもしれないし
心境や环境の変化は一瞬だなと
つくづく痛感させられました。
不过前阵子发生的纽西兰大地震
从受灾户的眼光来看的话
我自己恐怕也是冷眼旁观的人之一吧
对於曾经冷眼旁观的自己
以及体认到心境与环境的变化都只在须臾之间的这当下
两者都深深的刺痛我的心。
わたしの诞生日は1月17日
我的生日是1月17日
阪神淡路大震灾の日です。
阪神淡路大地震发生的那一天。
1995年のあの日の记忆は
今でも覚えています。
1995年的那天
我至今仍记忆犹新。
5歳の诞生日の日
いつもと违っているテレビ…
5歳生日的那天
跟往常不同的电视画面...
ただただ真っ赤に
燃えている神戸の街の映像…
出现在萤幕上的
是烧得一遍通红的神户街头...
诞生日で楽しいはずなのに
そんな雰囲気でいては
いけないというのは
感じていました。
明明过生日应该是很快乐的
但是我感觉到在这种气氛下
快乐似乎是不应该的
阪神淡路大震灾の时は
このように傍観者でしたが
今回はある意味当事者の一人として
対応を求められています。
阪神淡路大地震时
我不过是个旁观者
可是这次在某种程度上也算是当事人之一的我
希望能找到我该做的事情。
それに対して文句を言っても
叹いても解决はしません
「何かをしないやつは悪だ」
というわけでもないし
「何かをしてるからえらい」
訳でもありません。
对於此
即使是抱怨或是叹气也无法解决任何问题
并不是说「什麼都没去做的家伙是不对的」
当然也绝非是为了「如果能做些什麼就会被尊敬」。
自分が考えるベストな行动を
していけば良いと思います。
东日本大震灾から1年…
あの时の记忆を忘れない为にも
去年のぶろぐを载せます
[2011-03-16 22:38:00 UP]
かおたん*ぶろぐ53
こんばんは。
大家好。
研究生の松村香织です。
我是研究生松村香织。
アメブロコメント栏などで
わざわざご心配して
下さったみなさん
ありがとうございます。
所有在Ameblo的留言栏
表达关心之意的各位
非常感谢你们。
テレビを见ると信じられない
光景を日々目の当たりにし
想像を绝する被害に
茫然としました。
即使从电视上看见仍然无法置信的光景
每天不断映入眼帘
这远远超乎想像的灾害
令我整个人都恍惚了。
被灾地の方には
こころよりお见舞い申し上げます。
灾区的各位
由衷祈求你们平安。
一言で言うと軽いようですが
言わずにはいられません。
虽然可能会被认为很肤浅
但是我认为还是必须说出来。
それと同时に新闻やネットや
テレビやラジオなどで
良识的な発言に
こころ强く感じたり
不谨慎な発言に怒りを
覚えたりしました。
在此刻我心中一方面为了
无论是新闻、网路、电视或是广播
都充满了建设性的发言而感到心安的同时
也为了一些不慎重的发言而感到生气。
自分达の地域が无事で
あったことは喜ぶべきではあり
自身の生活の営みを
止める訳にはいかないけれど
いまだに余震が続くのに
呑気な方が多いなと感じてしまいます。
虽然自己所在的地区平安无事是值得开心的事
也不该把地震当做是中断日常生活的理由
可是
明明到现在为止,余震都还在持续著
却有太多人冷眼旁观了。
しかしこないだ起こった
ニュ-ジ-ランド地震でも
被灾者家族の方々の视点から见れば
自分も呑気な连中の一人で
あったかもしれないし
心境や环境の変化は一瞬だなと
つくづく痛感させられました。
不过前阵子发生的纽西兰大地震
从受灾户的眼光来看的话
我自己恐怕也是冷眼旁观的人之一吧
对於曾经冷眼旁观的自己
以及体认到心境与环境的变化都只在须臾之间的这当下
两者都深深的刺痛我的心。
わたしの诞生日は1月17日
我的生日是1月17日
阪神淡路大震灾の日です。
阪神淡路大地震发生的那一天。
1995年のあの日の记忆は
今でも覚えています。
1995年的那天
我至今仍记忆犹新。
5歳の诞生日の日
いつもと违っているテレビ…
5歳生日的那天
跟往常不同的电视画面...
ただただ真っ赤に
燃えている神戸の街の映像…
出现在萤幕上的
是烧得一遍通红的神户街头...
诞生日で楽しいはずなのに
そんな雰囲気でいては
いけないというのは
感じていました。
明明过生日应该是很快乐的
但是我感觉到在这种气氛下
快乐似乎是不应该的
阪神淡路大震灾の时は
このように傍観者でしたが
今回はある意味当事者の一人として
対応を求められています。
阪神淡路大地震时
我不过是个旁观者
可是这次在某种程度上也算是当事人之一的我
希望能找到我该做的事情。
それに対して文句を言っても
叹いても解决はしません
「何かをしないやつは悪だ」
というわけでもないし
「何かをしてるからえらい」
訳でもありません。
对於此
即使是抱怨或是叹气也无法解决任何问题
并不是说「什麼都没去做的家伙是不对的」
当然也绝非是为了「如果能做些什麼就会被尊敬」。
自分が考えるベストな行动を
していけば良いと思います。